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東京地方裁判所 昭和40年(特わ)976号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実、罪名および罰条

本件公訴事実は、

被告人は、昭和四〇年一二月一七日東京都大田区萩中三丁目二五番地萩中公園において開催された東京都学生自治会連合主催の「日韓条約批准書交換阻止全都学生緊急行動」と称する集会ならびに右集会終了後、同公園から同区蒲田消防署羽田出張所前および京浜急行電鉄大鳥居駅前の各交差点を経て、同区羽田旭町一一番地荏原製作所羽田工場前に至る間の道路上において行われた集団示威運動に学生約六〇〇名と共に参加したものであるところ、右学生らが、東京都公安委員会の付した行進隊形は五列縦隊、ことさらなかけ足行進や停滞等交通秩序をみだす行為をしないことおよび旗ざお等を利用して隊伍を組まないこと等交通秩序維持に関する事項についての許可条件に違反し、同日午前一〇時頃から同一〇時九分頃までの間、右萩中公園から同区萩中三丁目七の七東京電力羽田サービスステーシヨン前までの道路上において、約一〇列ないし三〇列となつてことさらな駈足行進を行ない、同午前一〇時九分頃から同一〇時一〇分頃までの間、右羽田サービスステーシヨン前道路上において、停滞し、同午前一〇時一〇分頃から同一〇時一三分頃までの間、同所から同区東糀谷三丁目六の一一東京螺旋管工業株式会社前までの道路上において、約三〇列となつて、ことさらな駈足行進を行なつた際、元相被告人吉羽忠および古根村一茂等約一〇名の学生と共謀の上、

一、元相被告人吉羽忠が、萩中公園から東京螺旋管工業株式会社前までの道路上において、終始、右学生隊列の先頭列外に位置し、前向きあるいは後ろ向きとなり、先頭隊伍が横に構えて所持する竹竿を掴んで引張り、かけ声をかけ、手を振り、あるいは学生の肩車に乗つて呼びかけをするなどし、

二、被告人が、同区本羽田三丁目五番地羽田運輸株式会社前から東京螺旋管工業株式会社前までの道路上において、終始、右学生隊列の先頭列外に位置し、前向きあるいは後ろ向きとなり、先頭隊伍が横に構えて所持する竹竿を掴んで引張り、笛を吹き、かけ声をかけ、手を振るなどし

て、右学生らのことさらな駈足行進および停滞を指揮し、もつて右許可の条件に違反した集団示威運動を指導したものである。

というにあり、

その罪名は、昭和二五年都条例第四四号・集会、集団行進および集団示威運動に関する条例違反、

罰条は、同条例第三条第一項但書・第五条、刑法第六〇条である

二、当裁判所の判断

(一)  弁護人および被告人の諸主張中の或るものについて

弁護人および被告人からは、審理の始めから終りに至るまでの間に、様々な主張がなされているところ、当裁判所が、判決をするに当つて、差し当り、判断を要するものと考える事項は次ぎの三点である。

1  昭和二五年東京都条例第四四号(同二九年同都条例第五五号による改正を経たもの)は憲法に違反するか

弁護人および被告人は、昭和二五年東京都条例第四四号・集会、集団行進および集団示威運動に関する条例は、先きに起つた朝鮮戦争という緊急事態に対処するため、占領軍司令部からの指示というよりは、むしろ、事実上の命令に基いて、占領政策遂行を至上目的とする治安立法として制定を余儀なくされたもので、表現の自由を侵すこと夥しく、その制定経過からみても、その内容においても、到底、日本国憲法の許容するところではないばかりでなく、これに、右都条例の運用における実態、すなわち集会等の許可申請、その許可および実施の各段階を通じて、当局により、表現の自由が不当に制限されている現実とを併せ考えると、都条例の違憲性は、いよいよ、明らかであると主張する。

しかし、本条例が、必ずしも、表現の自由を保障した憲法第二一条の規定に違反するものでないことは、既に、最高裁判所・昭和三五年(あ)第一一二号・同年七月二〇日大法廷判決・集一四巻九号一、二四三頁以下に判示されているとおりであり、この裁判は、今なお妥当するものとされているのであるから、当裁判所としても、その拘束力を尊重し、暫らく、これに従うべきものと考える。

そして、右の判決が、本条例の内容に入つて判断を示していることから考えると、その当然の帰結として、本条例は憲法および地方自治法の規定を根拠として、その定める手続と形式をもつて有効に成立したものといわざるを得ず、本条例がその制定経過からみても、その内容からみても、違憲であるとの所論は採用できない。

ところで、右の大法廷判決は、その末尾において、本条例に濫用の虞れがあり得るからといつて、これを違憲とすることは失当であるとしながらも、一方では、「条例の運用にあたる公安委員会が権限を濫用し、公共の安寧の保持を口実にして、平穏で秩序ある集団行動まで抑圧することのないよう極力戒心すべきこともちろんである。」と判示して、公安委員会が、本条例を運用するに当つての心構えを説いているので、弁護人等の前記所論に鑑み、当公判廷に現われた諸証拠に基き、最近の東京都公安委員会による本条例運用の一斑を窺うと、東京都公安委員の当公判廷における証言は得られなかつたが、東京地方裁判所刑事第二六部の被告人高尾威広ほか一〇名に対する同条例違反被告事件の第一回および第一八回公判調書写中における証人山田英雄の供述記載、昭和三一年一〇月二五日都公安規程第四号・東京都公安委員会の権限に属する事務処理に関する規程(抜抄)、同日訓令甲第一九号・東京都公安委員会の権限に属する事務の部長等の事務処理に関する規程〔抜抄〕、同三五年一月八日東京都公安委員会決定・別添・集会、集団行進および集団示威運動に関する条例の取扱いについて、同月二八日警視総監通達甲(備備三)第一号・集会、集団行進および集団示威運動に関する条例の取扱いについて(部外秘)等によれば、東京都公安委員会は、本条例第三条による集団行動の不許可処分、同許可の取消処分および申請内容の変更を伴う許可処分、その他重要特異な許可処分については、自ら処理しているが、その余の許可処分および右許可に対する条件付加処分については、事務の迅速かつ能率的な運用を図るため、警視総監、警備部長および警察署長らに処理させているところ、右処分は、公安委員会名義をもつて行わせ、その結果を毎月とりまとめて、同委員会の承認を受けさせることにしていること、集団行動の許可申請に際し、慣行的な行政相談の形式で、警視庁警備部警備課集会係と申請者との間に話合いが行われることがあり、交通事情や警備の都合上、同係から申請内容について変更の要望ないし勧告がなされる事例があること、右勧告などに応じなかつた場合、公安委員会の直裁によつて、申請内容が変更される例も若干存在することおよび右勧告等に応じなくても、申請自体は受理されることなどの諸事実が認められ、権限の代行ないし代決の委任といつた点や、いわゆる行政相談および申請内容に関する変更の要望ないし勧告といつたような諸点で、法理上、若干疑問の余地があり、なお再考を要するところがあるようにも考えられるが、未だ、都公安委員会に、本条例の運用につき、権限の濫用があつたとまで断ずべき資料は存しない。ましてや、本件に関する限り、その許可ないし条件付与等の経緯については、当裁判所としては全く、これを知るに由もない。弁護人等の主張は、この点においても、失当である。

2  昭和四〇年一二月一七日都学連主催集団示威行進の許可条件と本件示威行進の規制について

弁護人および被告人は、本件許可には、警視庁当局の手で、一方的な、苛酷で、夥しい条件がつけられており、また本件行進に際しては、武装警察官の大量出動による警備体制が敷かれ、集団行動に対する警察官の威圧的警告ないし挑発行為や、機動隊による実力規制、逮捕権の濫用、私服警官によるスパイ活動、警察官による暴行傷害などの実力行使がなされ、表現の自由としての集団行動の権利性は、殆んど抹殺されたに等しい状態であつたという趣旨の主張をしている。

そこで、その当否につき考察すると、山口紘一の昭和四〇年一二月一四日付集会・集団示威運動許可申請謄本(条件書および図面各一葉添付)によれば、本行進の許可条件は、

一  秩序維持に関する事項

1  主催者および現場責任者は、集会、集団示威運動の秩序保持について指揮統制を徹底すること。

2  時間および進路を厳守すること。

3  病院、学校等の近くを通るときは、とくに静粛を保つこと。

4  解散地では、到着順にすみやかに流れ解散すること。

二  危害防止に関する事項

1  鉄棒、こん棒、石その他危険な物件は、一切携行しないこと。

2  旗ざお、プラカード等のえ(柄)に危険なものを用い、あるいは危険な装置を施さないこと。

三  交通秩序維持に関する事項

1  行進隊形は五列縦隊、一てい団の人員はおおむね二五〇名とし、各てい団間の距離はおおむね一てい団の長さとすること。

2  だ行進、うず巻き行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、すわり込みあるいは先行てい団との併進、追越しまたはいわゆるフランス・デモ等交通秩序をみだす行為をしないこと。

3  旗、プラカード等の大きさは、一人で自由に持ち歩きできる程度のものとすること。

4  旗ざお等を利用して隊伍を組まないこと。

5  発進、停止、その他行進の整理のために行なう警察官の指示に従うこと。

という内容のものであつたことが明らかであり、

当公判に現われた諸般の証拠によると、本件集団行進の警備に出動した警察機動隊の数は約五〇〇名に達し、ほかに警備・採証および検挙等の活動に従事した警視庁公安部公安第一課等の警察官数十名がいたこと、被告人らの本件行動中に、警察当局から、数度にわたり、警告が発せられたが、被告人らは、これに応じなかつたため、機動隊による規制が始まり、遂いに被告人らの逮捕が行われたこと等が認められる。

以上によると、本件行進の許可条件は可なり酷しく、またその警備等にもいささか行き過ぎがあつたのではないかとの感なきにしも非らずであるが、翻つて、後に認定するような本件行進の目的、日時、場所、参加人員およびその構成等を考え、警察官の職務等をも考慮に入れて、冷静に判断すれば、本件に関する限り、右許可条件や警備等に、弁護人等の主張するような表現の自由に対する制限があつたとまでは、断定できない。

表現の自由は憲法第二一条の保障するところであり、その制約は、表現が他に関係を持つものであることから来る当然かつ内在的なものでなければならないであろう。公共の福祉に名を藉りて、それが侵されるようなことがあつてはならないことはもちろんである。

わが憲法は民主主義と平和主義とを基調としており、独裁の理論や闘争の哲学は、これを採用していない。

政治は、国民の、国民による、国民のためのものでなければならないであろう。集団行動の一たる示威行進、即ち、デモとは、集団が、その意思を表現する一つの行為である。デモの起らないような政治が望ましいことはいうまでもないが、現実を直視する限り、それは唯だ理想に過ぎないことであるのかも知れない。場合によつては、デモの必要も生ずるというのが、現実の姿であろう。しかし、その際でも、デモは、事柄の本質上、秩序のある、整然とした、そして、また、堂々たるものでなければならない筈である。国民にして、その国を思わず、人間にして、人類の運命を思わないものはないであろう。デモをする人も、これを取締る人も、同じく、国民であり、人間である点においては、何の変りもない。デモをする人には、節度と良識とが、デモを取締る人には、寛容と善意とが、そして、双方に理性が要求されるゆえんであり、デモをする人が、初めから、当局を敵視してかかつたり、当局が初めからデモをする人を疑つてかかつたりするようなことがあつては、ゆめ、ならないものと、信ずる。当裁判所は、決して、デモを否定しているのではないのはもちろん、また、デモを奨励しているのでもない。唯だ、所論に鑑み、現実をみつめて、デモをする人とこれを取締る人とにつき、その共通の場を論じているに過ぎないのである。

3 司法警察員川合良展ほか五名の撮影にかかる諸写真(昭和四一年押第一、六九四号の二ないし六および九)の証拠能力についての再論

弁護人は、本件集団行動につき、警察官が現場において撮影した写真で当公判廷において証拠調の行われたもののうち、少くとも、検察官が違法行為であると主張する行為の発生以前に撮影したものは、被告人らの肖像権を侵害し、違法な採証活動によつて得られたものであるから、証拠として採用することは、許されないと主張する。

そこで、その当否につき審究すると、当公判廷で取調べた写真証拠のうちには、検察官が許可条件違反行為であると主張する行為が行われる以前の状況を撮影した写真が含まれていることは、所論のとおりである。けれども、本来、集団行動は、既に述べたところから明らかなように、集団が、公共の場所において、公衆に対し、集団の意思を表示するため、その存在を示して行われるという公開的性格を持つており、これを撮影する行為が、直ちに、肖像権の侵害となるか、否かは疑問の存するところであるから、このようにして撮影された写真を目して、直ちに、違法に収集された証拠であるとは速断できない。もつとも、捜査官憲において、未だ違法行為が行われない以前に、犯罪を予想して、その証拠保全の目的で、公共の場所における集団行動ないし人の行動を撮影することが許されるかどうかは、警察官の職務と警察権の限界とに照らし、その当時における犯罪発生の予測状況と犯罪捜査における必要性の程度によつて判定すべき事柄である。

これを本件についてみるに、諸写真の撮影者である警察官の当公判廷における諸証言等によると、本件撮影に際し、可なり高い程度の蓋然性を以つて、違法行為発生の予測ができ、また採証上の必要性も存在したことが認められないことはないから、すでに、第一二回公判で、本件各写真を証拠として取調べるにあたり、当裁判所が、昭和四二年三月二四日付決定をもつて判断したとおり、右各写真には、なんら人為的な歪曲が加えられた形跡が認められず、すべて被写体を正確に再現したものであると認められるから、所論写真につき、証拠能力あるいは証拠としての価値を否定する主張は、失当である。

(二) 証拠によつて認定される事実

本件公訴事実は、前記のとおりであるところ、≪証拠略≫

を総合すると、被告人は、東京大学理学部の学生であるが、かねて、今次のいわゆる日韓条約がわが国にとつて不利益なものであり、かつわが国の韓国に対する植民地的支配を復活するものであると考えて、その締結に反対していたこと、昭和四〇年一二月一七日午前一一時三〇分に、日韓条約批准書交換のため、日本政府代表として、当時の外務大臣椎名悦三郎が、羽田空港から韓国訪問の途につくようになつたこと、同日午前九時四〇分過ぎ頃から、東京都大田区萩中三丁目二五番地所在萩中公園において、右訪問および右批准書交換を阻止する目的で、東京都学生自治会連合主催の集会が行われたこと、右集会終了後、同一〇時頃から、右と同じ目的で同公園から、同区蒲田消防署羽田出張所前および京浜急行電鉄大鳥居駅前の各交差点を経て、同区羽田旭町一一番地所在荏原製作所羽田工場前に至る間の道路上において集団示威運動が行われたこと、被告人が元相被告人吉羽忠やほかの学生らおよそ六〇〇名とともにこれらの集会および集団示威運動(以下、これを示威行進またはデモと呼ぶ。)に参加したものであること、この示威行進については東京公安委員会より前記のような許可条件が付せられていたことならびに右行進の総指揮者は元相被告人吉羽忠で、副指揮者は被告人であつたこと等の諸事実は、これを認定することができる。

(三) 問題点

そこで、問題は、本件示威行進に当つて、東京都公安委員会が付した「ことさらなかけ足行進」および「停滞」をしないことという条件の必要性ないし相当性ならびに被告人にこれらの条件に違反する行為があつたか、否かの点である。

以下、順次、これらの問題を検討する。

1 総 論

本件集団示威行進の許可条件は、前記のとおりであるところ、先ず、その三、交通秩序維持に関する事項のうち、2に「交通秩序をみだす行為」として列挙してあるような諸行為を禁止の対象とすることが、本件の場合に、果して必要且つ妥当であつたかどうかについて、考えると、

(1)  東京都内における道路状態の如何や、交通量の繁閑の度合などの道路交通事情には、地城的あるいは時期的時間的にも差異が存するが、公知のような都内の道路交通事情を前提とする限り、デモ行進の途中で、参加者によつてなされるであろうところの、いくつかの類型的な行為について、これらを交通秩序をみだす行為として、禁止の対象とする必要性が存することは、一般的にいつても、これを否定できない。

(2)  ところで、本件においては、交通秩序をみだす行為として、「だ行進、うず巻行進、ことさらなかけ足行進、おそ足行進、停滞、すわり込み、先行梯団との併進、追越しまたはいわゆるフランスデモ」等の各行為が列挙されており、このうち、「ことさらなかけ足行進」を除く各行為(但し、これらの行為の内容についても、その禁止の必要と相当性に照らし、合理的な解釈を施した概念を前提とすべきことは、もちろんである。)は、それらが行為類型として帯有する一定の行為態様に照らし、人的、時間的あるいは場所的範囲といつた関係で、それらの行為を伴わないデモ行進が通過する場合に比較して、より大きな、本来回避し得たであろ交通上の障害を惹起する可能性あるいは蓋然性を想定しうる諸行為である。

ここに、本件の場合、これらの行為を禁止する必要性と合理的な根拠とを見出すことができる。そこで、特に検討さるべきは、「ことさらなかけ足行進」ということである。

2 各論

(1)  ことさらなかけ足行進

Ⅰ 意味

「ことさらな」とは、わざとするという意味であり、「かけ足」とは、急速な歩調という意味である。

ところで、一定のデモの順路を、「かけ足」で行進した場合は、該区間を普通に歩いて行進した場合に較べ、速度において勝る結果デモは、比較的短時間のうちに通過し去るから、既に総論でみたような交通障害を惹起する可能性ないし蓋然性は、通常想定しえない事柄である。そうであるとすると、かけ足行進を規制する必要性は、これを他に求めなければならないことになるわけであるが、差し当り、考えられることは(これは、もちろん参加人員の多少等とも関係する事柄であるが)、車両や通行人がデモの進路を横切るような場合とか、信号の変化に出会つたような場合など、周囲に生じた道路交通状況の変化に際し、通常、歩いて行進する場合に比して、危険防止・回避の点で幾分危険度が高まるであろうという点(行動面における弾力的権能の低下)や、かけ足行進に伴い、集団内に醸し出されるところの、いわば物理的エネルギーの高まり、あるいは逆に、過度のかけ足行進継続に伴う肉体的疲労などが原因となつて、結果的に、デモ集団が、統制能力あるいは指導者らの統制に対応する能力の面で、弱体化する事態を招来する虞れが生じるであろうといつたようなことである。

しかし、右に指摘したデモ隊の行動面における弾力性や統制能力などの低下ないし弱体化の虞れというが如きことは(デモの規模や道路交通事情のいかんとも関係する事柄ではあるが)、指揮者やその補助者の配置数等を考慮し、適切な統制方法を講ずることにより、十分回避できる性質の事柄である。従つて、元来、自己統制を予定し、またこれが期待されているデモ行進につき、単なる「かけ足」を禁止、ましてや、その違反に対し、直ちに刑罰をもつて臨まなければならないような必要性と妥当性とが果して見出されるであろうか。

ここに、前示の条件が、「ことさらな」かけ足と謳つていることの十分な意味があるものといわなければならない。すなわち、単純な「かけ足行進」ではなく、「ことさらにするかけ足行進」のみが禁止の対象となり得るのである。

そして、「ことさらな」の意味は、これをいかに解すべきかも、前叙の観点から容易に、合理的に判断することができる。すなわち、デモ隊が、既に、集団行動の主体として、本来、有すべき自己統制力を保持しえないような状態ないし体勢にあり、これに伴う危険をかえりみず、なおかつ、かけ足行進を始め、或るいは、これを継続する場合を指すものと解するのが相当である。かけ足は、ことさらになされるかけ足である場合に、始めて、「交通秩序をみだす行為」として、実質的な違法性を帯有するに至るものといわなければならない。蓋し、かかるかけ足こそが、容易に、他の違法な類型行為を呼び寄せるばかりでなく、一般人にとつても、デモの参加人にとつても、また危険を誘発することになりかねないからである。

Ⅱ 証拠

前示のような諸証拠を総合すると、本件デモ隊は、先きに公訴事実として記載したような経路および区間を行進したことを認めることができる。

ところで、その際におけるデモ隊の行進状況を見るに、先ず、前記認定の各区間の路上における行進状況について、各証人はおおむね、「デモ隊は、かけ足をしていた。」という趣旨の供述をしている。

しかし、各証人が、同じく「かけ足」という言葉を用いてはいるものの、その文言に含ませている実質的な内容には、可なりの食い違いが見られる。すなわち、佐塚、小島両証人は、デモ行進の全区間について、文字通り、かけ足していたことを認めているが、その余の証人は、かけ足の意味する状態について、あるいは、「こきざみなかけ足」(金井、松村両証人)であるとか、「普通歩くよりは早く、普通のかけ足よりは遅い」旨(松村、中川両証人)、あるいは、「ゆつくりしたかけ足」(黄川田証人)とか説明しているのであつて、要するに、これら各証人が、「かけ足」なる言葉で表現しているデモ行進の前進速度は、それが通常の「かけ足」ではない趣旨を、微妙な表現を付加して、限定的に述べているにほかならないし、とくに、注意すべきは、榎本証人が、「急ぎ足」で行進していたとのみ証言していることである。

一方、本件各写真を検討した結果では、通常の歩行行進ではない状態であることはわかるが、これも、これら関連の各写真がおおむね前方ないし斜前方から撮影されたものであるため、先頭隊列に位置する参加者らが、歩行時よりも稍や足を持ち上げ気味にしている点から、通常の歩行状態ではないという推察がつく程度のものである。

次ぎに、本件一六ミリフイルムを映写して観察すると、前記の公園出口から、通称萩中バス通り(証人達は、多くこれを日の出通りと呼んでいる)に出る際、および大鳥居駅踏切を横断して羽田街道に入る間の各路上において、通常のかけ足行進がなされていたことは、映像上認められるけれども、産業道路を北進する際の状態については、先頭部分に位置する参加者らが、足を稍や高めに持ち上げ、またその背後に位置する参加者らについては、全体的に、上半身(肩より上の辺り)が、上下に稍や波打つている有様を確認でき、これにより、通常の歩行行進でない行進場面があつたことを窺い得るにとどまる。そして、右の通常の「かけ足」が映像上認められる場合にしても、精々、合計数十秒位という短時間のもので、しかも区間的にもごく限られた距離範囲のものにとどまつている。

結局、以上のような証拠からは、産業道路(但し、東電サービス・ステーシヨン以北の区間を除く。)においては、通常のかけ足行進を行つていたものと認めるには、不十分であると結論せざるを得ないし、また通常のかけ足をしていたと認められる路上区間は存在するが、これは、前記萩中バス通りのうち公園南出口付近路上および産業道路の東電サービス・ステーシヨン前付近路上から、デモ隊に対する実力規制が開始された巽食堂ないし東京螺旋管工業株式会社前付近路上に至る区間にとどまり、距離的には、公園南出口前路上から巽食堂ないし東京螺旋管工業株式会社に至るコースのうちの、ごく一部分に過ぎない。

Ⅲ 帰結

かように、本件デモで、かけ足行進がなされたことは、一部分については、これを認めることができるが、それが、前示の「ことさらな」かけ足行進に該当するとの点についての証拠はなく、かえつて、右かけ足行進は、被告人と元相被告人吉羽忠の両指導者の統制の下にある一〇名位の者の誘導と指示により、デモ行進として統制された行動であつたことが明らかであるから、結局、被告人において、「ことさらかけ足」行進を指揮したとの点は犯罪の証明がないものといわざるを得ない。

(2)  停滞

Ⅰ 意味

停滞とは、止まつて滞るという意味である。

ところで、既に総論において説示したように、本件の場合、停滞を規制する必要性と妥当性は十分認められるのであるが、その規制を相当ならしめる根拠からいつても、右「停滞」には、デモ行進に通常付随することのある隊列の停止(例えば、前方道路が混雑しているとき、先行梯団との間隔がせばまつた場合に、間合いをとるため行われる停止など。)を含まないのはもちろん、デモ行進途中に発生した四囲の状況の変化に対処し、統制あるデモ行進を継続する必要上、やむなく短時間停止する場合をも違法視する合理的な根拠はないから、このような場合における停止も、また、右「停滞」に該当しないものと解しなければならない。

要するに、本条件にいう停滞とは、時間的にも幾分長い、ことさらな停止を意味するものと解すべきである。

Ⅱ 証拠

前示のような諸証拠を総合すると、本件デモ隊は、被告人および元相被告人吉羽忠の指図によつて、当日午前一〇時九分頃から同一〇時一〇分頃までの間、東京電力羽田サービスステーシヨン前路上において、停止をしたことが明らかである。しかし、本件の全証拠を以つてしても、右停止がことさらなものであつたと認めることは、到底できない。

Ⅲ 帰結

以上のとおりであつて、本件停止は、わずか一分間位であり、前段説示のようなやむを得ない事由がないのに、ことさらにこれをしたという事情もまた認められないのであるから、これを停滞とみるのは、相当でない、従つて、右停止が、被告人らの指導によつてなされたとしても、この点につき、被告人を罪に問うことはできない。

(四) 弁護人および被告人のその余の主張について

なお、弁護人および被告人は、日韓条約は違憲無効なものであり、被告人の本件行為は、これが批准を阻止する目的のために行われたものであるから、正当で、何ら犯罪を構成しないという主張等もしているが、右は、被告人の本件行為における動機に過ぎないとも受け取れる事情であるばかりでなく、本件公訴事実については、結局、その証明がなきに帰すること、既に、説示したとおりである以上、右の諸主張については、進んで、判断を示す必要はないものと考える。

三、結 論

してみれば、被告人に対する本件公訴事実は、結局、これを認めるに足る証拠が十分でないことになるので、その余の争点につき判断をするまでもなく、被告人に対しては、ここに無罪の言渡しをなすべく、刑事訴訟法第三三六条後段により、主文のとおり判決する。(竜岡資久 安田実 久米喜三郎)

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